2019年度第5回 パレスチナ/イスラエル研究会 報告
■今野泰三(中京大学国際教養学部・准教授)
「宗教的シオニズムの構造的基盤に関する歴史的考察:ハ・ミズラヒとハ・ポエル・ハ・ミズラヒという2つの組織」
今野泰三氏(中京大学)の報告は、1970年代以降に顕在化していった宗教的シオニズムの性質に関して、それ以前の時代に構築された構造的な基盤に着目して明らかにしようとするものであった。本報告での構造的な基盤という言葉は、グーシュ・エムニームや宗教的シオニストに関する著名な研究者であるエフード・スプリンツァクが提起した「氷山の一角」論——すなわち、グーシュ・エムニームのような運動の台頭を下支えした社会的・政治的なサブカルチャーまでを考察することが宗教的シオニズムについて理解する上で重要であるという考え方——に着想を得ていると述べられた。今野氏は、そのような「氷山」を探る作業の一環として、ハ・ミズラヒ(1902年結成)とハ・ポエル・ハ・ミズラヒ(1922年結成)という二つの組織を取り上げ、それらの運動が果たしてきた役割や、その志向・性格における差違などを具体的に論じた。こうした分析を通じて、宗教的シオニズムが当初から多元的・応答的・相対的な性格を持ってきたことが明らかにされた。
質疑応答のなかでは、本報告で扱われた20世紀初頭の事例がどのように1967年以降の展開に結びついているのかという点や、「ミズラヒ」という単語が宗教的シオニズムの諸潮流で頻繁に用いられる組織名になったことをどう捉えるのかといった点について質問が出された。さらに、近代における宗教とナショナリズムの関わりという、より大きな視点から共時的な比較を行う必要性も提起され、総じて活発な議論が交わされた。
文責:山本健介(日本学術振興会・特別研究員PD〈九州大学〉)
■武田祥英(共立女子大学・非常勤講師)
「第一次大戦期英国におけるユダヤ教徒の状態:バルフォア宣言を再検討する観点から」
武田祥英氏の報告は、英国政府やシオニストを扱った諸研究と英国ユダヤ教徒社会全般に関する研究を架橋することで、バルフォア宣言の策定・公表過程を再検討するものであった。分析のなかで武田氏が特に着目したのが、英国ユダヤ教徒合同外交委員会(Conjoint Foreign Committee of British Jews, CJC)である。CJCの活動は1915年に転換期を迎え、シオニストと協力してパレスチナ政策をプロパガンダとして利用する方針を採択した。すなわち、主に米国を英国側陣営に引き入れるべく、米国ユダヤ人にシオニストと協力して働きかけを行った。しかしながら、英国ユダヤ教徒を代表するかのようなCJCの動きに対してその上部組織である英国ユダヤ教徒審議会(Board of Deputies of British Jews)において1917年6月に非難決議が採択されるに至る。この点から武田氏は、バルフォア宣言につながる政策が、英国のユダヤ教徒社会を蔑ろにする形で発展した過程を指摘した。
質疑応答では、Jewsを「ユダヤ教徒」と訳出することの問題性がまず焦点となった。すなわち、当時の社会的文脈を考慮するに、「ユダヤ人」、または「ユダヤ」と訳出すべき箇所が多くあったのではないかという指摘が複数なされた。また、米国へのプロパガンダを主な誘因としていたという分析には、より多角的な視座からの再検討、または議論の補強が必要であろうとの提起がなされた。さらに、バルフォア宣言100周年を迎えた2017年に多数の研究書や概説書が新たに刊行されたことを踏まえれば、そうした新しい研究成果との照らし合わせも不可欠であることが指摘された。このような批評に対して武田氏は、収集済みの一次資料などに依拠して応答を行い、学術的示唆に富んだ議論が交わされた。
文責:鈴木啓之(東京大学大学院総合文化研究科スルタン・カブース・グローバル中東研究寄付講座・特任准教授)