2016年度第1回 政治変動研究会 報告
■ 金谷美紗(中東調査会研究員)「体制移行期の司法府の政治的役割―ムバーラク期と革命後の比較―」
近年、さまざまな国の「司法の政治化」現象が注目されている。「司法の政治化」とは、もともとはラテンアメリカ諸国の革命政権、軍事政権が裁判所を政治的に利用する諸事例を意味していたが、その後多くの国々で裁判所が積極的に政治に介入する諸事例も見られるようになった。現在では双方をまとめて意味しており、金谷報告はそのエジプトにおける展開を解説、評価したものである。
エジプトの裁判所制度、ナセル期の司法府抑圧が概説された後、サダト期、ムバーラク期に司法府の独立性が高められ、政府の決定を司法判断で覆す「司法積極主義」が定着した過程が説明された。複数の議会選挙に違憲判決が下されて選挙のやり直しがなされるなど、裁判所は政府の決定に反する判決を多く出した。しかし、一方で体制の安定に関わる法律や決定では、政府の側に立つ判決を下し、バランスのとれた対応をとっていた。
2011年1月25日革命後のムルスィー政権は、司法府の権限縮小を図り、裁判所とムスリム同胞団は深刻な対立関係に陥った。裁判所が、ムスリム同胞団が勝利した人民議会選挙と制憲委員会を無効とする判決を出すと、ムルスィー大統領は司法府封じ込めのための憲法宣言を発した。結局、ムルスィー政権は2013年のクーデターで崩壊するが、司法府はこのクーデターを支持し、現在もスィースィー政権の側に立つ姿勢を続けている。
エジプトの司法府は、自らの独立性確保を最優先とするがゆえに、時に政府に対抗し、時に政府を擁護する司法判断を出す。しかし、その結果として法の支配や人権が守られたり、体制や秩序が維持されたりしており、それに対する評価は難しいと感じた。
■ 若桑遼(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程)「チュニジアにおける『第二共和制』の成立と新憲法―革命後の憲法制定過程と条文の分析」
2011年「アラブの春」による政変の後、深刻な混乱に陥った国々が多いなかで、チュニジアは多くの問題を抱えながらも、その非暴力的な展開から「優等生」的な評価を得ている。若桑報告は、ジャスミン革命後の新憲法の内容を分析するとともに、それとチュニジアの政治変化との関係を考察したものである。
チュニジアの新憲法制定を、モロッコおよびエジプトの事例と比較した後、チュニジアの憲法制定過程が詳解された。2011年1月14日にベン・アリー大統領が出国した後も、既存の1959年憲法は法的効力を維持していた(それゆえ、この時点で体制が崩壊したとは厳密にはいえない)。憲法院が、この憲法の57条に規定された「大統領の最終的不在」の状態を確認し、同条に従って下院議長に「暫定的な国家元首の職務」が委譲された。その後、10月23日に国民制憲議会選挙が実施され、この議会が12月10日に成立させた憲法的法律6号により、1959年憲法は停止された。
議会内に設けられた憲法起草員会は、作成した憲法草案を開示し、公開討論のための集会を26回にわたり開催するなど、ガラス張りの作業を続けた。それでも、世俗主義者とイスラーム主義者の勢力が対立し、草案はまとまらなかった。2013年7月にチュニジアでのサラフィー主義者による政治家暗殺と、エジプトでのムルスィー政権崩壊が生じた後、周知の「カルテット」による調停が成功し、ようやく2014年1月に新憲法が制定され、2月に公布された。その内容は、世俗主義やリベラリズムの性格の強いものとなっている。
文責:松本弘(大東文化大学・教授)